私が教育にかかわる職に就きたいと漠然と考え始めたのは小学6年生の時です。運動会の応援団長として下級生の指導にかかわり、人に何かを教えることのやりがい、面白さ、難しさを子供心に新鮮に刻みました。
青春期。新冷戦時代。ソ連がアフガンに侵攻、イラン革命、イランイラク戦争と世界は米ソ以外の対立軸を認識しつつ、混沌とした時代の様相を呈していました。いつ核戦争がおこってもおかしくない・・・そんな不安を持って過ごしたのは私だけではないでしょう。秦の始皇帝による中国統一や信長・秀吉・家康による統一事業などを思い、20世紀の乱世を平和裏に統一してくれる英雄の出現を夢想しつつ、「そんな英雄になりたい、なれるわけない」とすでに半ばあきらめすべてをかけて努力をしていない自分の矮小さに辟易としたもしたのです。
1991年、ソ連が崩壊した意味は大きく、「神の死」という言葉が端的に示す形而上学の一つの終焉を我々が認識した矢先に、形而下においての止揚モデルの崩壊を、身をもって知ることになりました。政治世界だけではなく思想・哲学世界においても我々は大きな柱を二つながら失い、混迷の時代にいると考えられます。
この時代をどのように生き抜き、どのようにかかわっていけばよいのか?
自分は何ができるのか?
私自身は無力にして、この世界を導く力はない。私は、そこで教育の力を信じたいと思ったのです。才能に恵まれた子供に、その才能を開花させ発揮できる場所に進むためのすべを提供しよう。そしてその才能が開花したとき、世の中は少し良い方向に向かったと信じよう。多くの人が多くの才能を、世界を意識して発揮すれば、少しずつ良い世界になっていくと信じよう。今の日本、とりわけ幼少期のエリート教育は手薄です。それは平等という極めてあたりまえの理念を教育の現場に持ち込むとき、個の秀でた才能を封じ込めるようなシステムで公教育が構築されてしまったことと、指導者の度量のなさによるところが大きいように思います。
才能を持ちながら、かえって疎外されている子供も多いのです。
そんな子供たちが、息苦しい思いをせずに自分を伸ばせる場に行ける手伝いをしよう。それが教育に心ひかれた私が、混沌とした時代とかかわり生きている意味なのだと考えています。
世界を導けるエリートを育てたい。そして間接的にではありますが世界をよくしていきたい。これが私の志です。